「語らずとも、感じる」アポカリプスホテル11話で感じたこと【感想・考察】

こんにちは。

この記事では2025年4月から放送されているオリジナルTVアニメ「アポカリプスホテル」11話の感想と考察を書いています。

ネタバレと独自の解釈を含みますので、予めご了承ください。

それではいきましょう。

アポカリプスホテル11話【感想・考察】

パーツと自分を探す旅

ヤチヨさんはかつて一緒に働いていたロボットたちの元に赴いてパーツの替えを探しますが、結局パーツは見つからず。

印象に残ったのはこの後。

「該当するパーツはありません」と表示された後、ヤチヨさんがどこか神妙な面持ちをするのです。

パーツが見つからないことへの諦めのような表情だったのか、同胞たちからパーツを拝借せずに済んだことからくる安堵感なのか。

その後、一機の胴体から銀座のガイドブックを手にしますが、あるページを見開くと驚いた表情をします。

そこには「休日はレトロモダンと最先端の文化が手を取り合う街・銀座をぶらぶらと歩いてみてください!きっと何かが見つかるはずです!」と書かれていました。

おそらく、ヤチヨさんはこの「何か」を見つけるために銀座周辺の旅に出たのだと思っています。

思えば、ヤチヨさんがホテルの外に出るときは決まってホテルのためでした。いわば、「だれかのため」だったんですよね。

なので、誰のためでもなく外に出たのは初めてだったのだと思います。

最初に訪れたのはデパートの地下にあるアパレル店。店員のいない店で密かに行われたヤチヨさんの試着。

この試着シーンから、人間の女性らしさあふれるかわいさと華やかさがありますが、ヤチヨさん自身はどこか驚いている表情なんですよね。

ここで印象に残ったのは、ヤチヨさんがひび割れた鏡に映る自分を見つめるという構図です。

鏡がひび割れていることによって映すという役割を果たせなくなり、鏡自体の寿命が近づきつつある状況=ヤチヨさんのパーツも使用期限により、再起不能(ロボットとしての死)になりつつあるという状況と似ており、リンクしているように思います。

そして、ヤチヨさんが自分を見つめる表情はどこか驚いている。

つまり、「ヤチヨさんが再起不能(死)の予兆を感じながら、彼女が自身を探すこと」

これこそがこの旅のテーマであると受け取ることができます。

ヤチヨさんと見る景観

そして次は銀座のパワースポットに向かいます。

たまたまページを開いて現在地から近いため行ったのか、銀河楼の更なる発展を願ってなのか、または旅の無事を祈ろうとしたのか。

ただ、ロボットであるヤチヨさんが参拝していてもまったく不思議に思わないのは、彼女が確率よりも可能性を選ぶからでしょうか。

管理もされなくなり、信仰もなって廃れてしまった土地でも、ヤチヨさんは二礼二拍手一礼をしますがどこか寂しいです。

これは、退廃して人も文化もいなくなった世界で意味をなさない礼儀作法をしてくれるからこそ、寂しさが生まれるのだと思います。

お参りを終えると、それからはポン子たちと過ごした場所を散策します。

ヤチヨさんのぶらり旅と一緒に流れるピアノと環境音が印象的でした。

そこに映し出される映像は、確かにあった人類の営みを感じさせてきますが、建物が自然に覆われかけている景観と澄んだ木漏れ日や夕日は現世以上に美しく感じてしまいます。

そして、美しいと思う分だけ人類がいないことを思い知らされるので、やはり寂しいです。

次は焚火、通称ヤチキャンです。

暖を求めてやってきた動物たちのために自ら一歩引くのを見ると、改めてヤチヨさんの根底にはおもてなしの精神があるのだと実感させられます。

ここで印象的だったのは、ガイドブックを焚火の燃料として使っているところです。ガイドブックが本来の役割として機能せず燃やされるの見ているのは、何とも寂しいです。

今ある銀座は遺物であり、過去の姿はもうないということを突きつけられます。

ホテルに物語を

足が赴くまま向かったのはかつて経営していたであろうホテルの跡地。

そこには銀河楼と同じようなホテルロボットたちの壊れた姿と、ヤチヨさんと同じ型番と思われる動かないロボットがいました。

ある意味、銀河楼のIFの姿だったのかもしれません。

彼女は完全に故障し、修復も不可能な状態でしたが、頭部に探し求めていたパーツがあります。

ここでヤチヨさんは少し戸惑ったような悲しげな表情をするんですよね。

この表情から、ヤチヨさんはロボットをただの鉄の塊とは見ておらず、1つの生命として見ていることが分かります。

そう考えると、同胞たちの前で見せた表情も、パーツを抜き取らずにすんだ安堵の表情だったように思えます。

決意を決めたのかパーツを丁寧に抜き取り、そして深々と約8秒間頭を下げます。誰に咎められることもないのにこうしてお辞儀をして敬意を払うのがとてもヤチヨさんらしい。

そして、名前も分からない彼女の話に移りますが、彼女からはそこで積み重ねてきたであろう時間を感じました。

彼女がこのホテルで過ごしてきた時間や出来事を想像できてしまうのは、私たちが一視聴者としてヤチヨさんが銀河楼で積み重ねてきた時間を見てきたからなのでしょう。

今は廃墟となってしまったあのホテルにも物語があり、営みを紡いでいたという事実がただひたすらに切なく尊く、そして愛おしいです。

もう動かない彼女は間違いなく時間の色を放っていました。

ヤチヨさんが見つけた「何か」

銀河楼に帰り、ポン子からどうだったか尋ねられ、返した言葉が「生きている感じがしました」でした。

ヤチヨさんの性質を以って11話を締めるにはこれ以上ない言葉であり、奥深く感慨深いと思います。

この旅でヤチヨさんは、死と隣り合わせになりながら、ショッピングに廃墟探索、時にパチンコを打ってソロキャンプで動物と触れ合い、無限に続く空を見て、自分に起こったかもしれない可能性の彼女と出会いました。

ヤチヨさんの心情を言語化することは不可能ですが、映像を通して確かに彼女の感情を感じ取ることができます。

ホテルロボットではなく、個としての存在の芽生え。

だからこそ、深い余韻がやってくるだけで、ヤチヨさんが「生きている感じがしました」と言うことにはまったく驚かないんですよね。

個を認識したヤチヨさんはロボットの枠組みを超えました。

それは「自由」な存在になったと言えますし、ペガサスはそれを暗示しているようにも思えるのです。

最後に

アポカリプスホテル11話を見た率直な感想として、雰囲気、描写、構成が圧倒的だと思いました。

今までとは打って変わった雰囲気ですが、10話までみたアポカリプスホテルらしさもしっかり残しつつ、言語化できない余韻を味合わせてくる構成力。

ほとんどセリフなく、描写や景観のみでヤチヨさんの感情の機微を描き切る技術力や表現力もすごい。

たぶんこの回は忘れることができないと思います。

それくらい、見終わった後の余韻がありました。

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